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熊本地方裁判所 昭和55年(ワ)440号 判決 1985年7月03日

原告

佐田ミチ子

外二二名

右原告ら訴訟代理人

千場茂勝

松本津紀雄

被告

右代表者法務大臣

嶋崎均

右指定代理人

根橋達三

外一四名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告ら

1  被告は、原告らに対し、別紙請求金額目録<省略>記載の各金員及びそのうちの同目録損害額欄<省略>記載の各金員について昭和五四年七月一七日から、同目録弁護士費用欄記載の各金員について昭和五五年一一月一一日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

1  主文同旨。

2  被告敗訴の場合における担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告国は、全国に国有林を所有し、林野庁、営林局、営林署という組織体系のもとに労働者を雇用して造林伐採等の林業経営並びに事業を営んでいるものである。

原告らは、いずれも別紙損害一覧表(一)ないし(五)記載のとおり後記災害で死亡した佐田兼義、永井侃、肝付榮藏、德重静美、山本孝春の妻、子、父母であるところ、右災害当時、佐田兼義は、人吉営林署事業課に所属する大塚製品事業所(以下、大塚事業所という。)第二班の定員内職員(集材機運転手)として、肝付榮藏、德重静美、山本孝春はいずれも同班の基幹作業員(一級)として、永井侃は同班に属し、林道の維持修繕に従事する基幹作業員(二級)として、直属の上司である宮川孝雄主任(以下宮川主任という。)の指示のもとにそれぞれ勤務していたものである。

2  本件災害の発生

昭和五四年七月一七日午後零時三〇分ころ、熊本県人吉市東大塚町桑ノ木津留の大塚林道起点から南へ約二・五キロメートル入つた別紙見取図災害発生地(以下、本件災害発生地という。)において、前記五名の者が乗車していた人吉営林署のミニマイクロバス(以下、ミニバスという。)が、山嶽橋方面から右林道起点へ向つて走行中一旦停車するかしないうちに、進行方向左側(西側)斜面にある沢の上方から突然流出した土石流に押し流され、大塚林道に沿う桑ノ木津留川に転落して水没し、その結果右五名が死亡する本件災害が発生した。

3  被告の責任

(一) 大塚林道の設置、管理の瑕疵

本件災害の発生した大塚林道は、桑ノ木津留地区一七世帯の生活、通学道路であり、また大塚事業所第二班に属する職員らの通勤路にあたつていたほか、木材運搬等の作業用道路としても利用されており、被告の管理下に置かれていたものであるが、その全容は、西側が山に迫つて斜面と接しており、東側が桑ノ木津留川の渓流に沿つて谷の様相を示している。右斜面は、人工的に切り取られたところもあれば、自然のまま沢状をなしているところもあるが、そのまま放置されており、また右沢状をなしている何個所かには、路面下に林野庁設置にかかる暗渠が存在し、沢を流下する水が桑ノ木津留川に流れ込むようにしてあるが、その管理が不十分なため右暗渠も埋つているところがある。更に大塚林道には全く排水溝がないため、降雨時には路面に雨水が溜つたり、雨水が路面を洗い流しているのが常態であつた。

したがつて、大塚林道は、従来から土砂崩れ、路肩決壊、落石等の恐れのある危険なものであつたので、第二班や全林野労働組合では、たびたびガードレール及びカーブミラーの設置、土砂崩れ、路肩決壊、落石等による災害防止のための止水壁等の防護施設の設置を要求してきたが、右要求はいれられず、依然として、生活、通学、通勤、作業用道路としては整備、補修が不十分な危険なものであつた。

ところで、本件災害発生現場における林道の状態は、災害発生地の斜面に沢があり、前記のとおり沢を流下する雨水等を桑ノ木津留川に導くための暗渠が設置されていたが、災害当時右暗渠が詰つていたため、右沢を流下し、本来ならば右暗渠に流れ込む雨水等が右斜面に滞留し、滞留した大量の水が急に流下するおそれがあつたのである。

したがつて、被告としては、右暗渠の整備を行うのはもとより、本件災害現場の山側に止水壁を、川側にガードレール等の防護施設を設置し、本件災害を未然に防止すべきであつた。

右のように大塚林道は、道路が本来備えているべき構造、性能を備えておらず、そのため、本件災害が発生したのであるから、被告は国家賠償法二条一項の責任を負うべきである。

(二) 安全配慮義務違反による債務不履行責任及び不法行為責任

労働契約に含まれる使用者の義務は単に報酬支払義務のみではなく、その就労に伴つて労働者の生命、身体を保護すべき安全配慮義務が含まれるのであつて、このことは国と国家公務員との間でも同じで、国は、国家公務員に対して、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設等の設置管理又は国家公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、公務員の生命、健康等を危険から保護すべきいわゆる安全配慮義務を負うものであるところ、被告には、前記被災者五名の者が公務を遂行するにつき、次のごとき安全配慮義務違反があつた。

(1) 大塚林道の整備義務違反

大塚林道は、前記のとおり被災者五名を含む大塚事業所職員らの通勤、作業用道路として使用されていたものであるから、被告は、事業所の職員が右林道を安全に通行できるよう整備する義務を負つていたのに、その義務を果さず、右林道を前記瑕疵のある状態のまま放置した。

(2) 宮川主任の不適切な義務命令

(ア) 昭和五四年の人吉地方は、六月中旬から降雨が激しく、熊本地方気象台からは別表Aのとおり連日大雨洪水警報や同注意報が発令されていたが、同月二八日には、豪雨のため山嶽橋から上の矢岳林道(別紙見取図参照)が通行不可能になるおそれが生じたので、宮川主任は第二班に特別休暇を与えたほどであり、第一班休憩所(別紙見取図参照)の存在する田野地区では路面が全面決壊して車が通れなくなり、大塚林道でも路肩決壊が生じるという状態であつたところ、本件災害前日の同年七月一六日には熊本県下に大雨洪水注意報が発令されていた。

本件災害当日も朝から降雨が激しく、午前四時五〇分に右注意報は大雨洪水警報、雷雨注意報に切り替えられたが、大塚事業所から第二班休憩所(別紙見取図参照)への非常時の唯一の連絡手段ともいうべき森林電話は前日から不通だつた。

したがつて、かかる状況下で、作業員を現場に就労させれば、右作業員の生命、健康に危険が及ぶことが十分予測されるから宮川主任としては、前記被災者らを含む第二班作業員を当日の業務に就労させるべきではないのに、これを就労させた。

(イ) 右のとおり第二班作業員は当日の作業に従事することになつたところ、第二班の当日の作業は盤台の架設及び玉切装置(熊本式)の取付け作業であつたが、豪雨のため右作業ができず、佐田、肝付榮藏、德重、山本、植木の五名の者は第二班休憩所に待機して道具の手入れ等をすることとし、これに従事していた。間もなく、同じく豪雨のため、矢岳林道から分岐する矢岳林道三五支線沿いにある造林班休憩所(別紙見取図参照)に待機していた同事業所造林班の肝付信一、寺床要一が、下山通路である右三五支線上に存在し、右通路の安全の一目安となる沈み橋が冠水して渡れなくなるおそれがあるとして、第二班休憩所に避難してきた。

他方、宮川主任は、午前九時ころから豪雨になつたので、同五〇分ころ人吉営林署管内の段塔事務所に電話したところ、同事業所では、皆下山させたとのことであつたので、自己の管理下にある第二班についても、もし屋内作業に従事していれば、それでよし、屋外作業に従事していれば、屋内作業に切り替え従事させるべく、午前一〇時ころ車で大塚事業所を出発し、途中一旦、本件災害発生地から約二〇メートル大塚林道起点寄りの所で作業中の永井の所へ立ち寄り、同人に対し、落石が少ない所で仕事をするように指示した後、再び大塚林道を引き返し、山嶽橋を渡つて矢岳林道に入つたが、矢岳林道は路上を雨水が流れており、右休憩所に着いたときは、水で車のブレーキがあまくなつてしまうほどであつた。

かようにして、午前一〇時三〇分ころ宮川主任が第二班休憩所に着いたが、この時、佐田兼義と肝付榮藏の二人は、右休憩所土間に浸入してくる雨水を排水しており、降雨の状態も話し声が聞こえない程激しく、したがつてかかる降雨状態が続けば、休憩所の裏に存在する山が植林を伐倒した後のはげ山のため崩壊のおそれがある状態であつた。

したがつて、以上のような状況下に第二班及び造林班作業員を置けば、右作業員の生命、健康に危険が及ぶことが十分予測できたのであるから、右作業員を直ちに下山させるか、少なくとも危険になつたら德重班長の判断で下山してもよい等の下山に関する指示をなすべきであつたのに、宮川主任は屋内作業を指示したのみであつた。

(ウ) 宮川主任が大塚事業所に帰着して間もなくの午前一一時過ぎころからは、大塚事業所、第二班休憩所及び付近一帯はバケツをひつくり返したような豪雨になり、第二班休憩所に待機していた作業員にとつては、裏山の崩壊等による危険性が増大し、下山路となる矢岳林道及び大塚林道が増水、土砂崩れ等で不通になるおそれが強くなつたうえ、依然として森林電話も不通であつたのであるから、宮川主任としては、一刻も早く特別休暇を含む下山の指示を出すべきであつたところ、午前一一時三〇分ころ、全林野労働組合(以下組合という。)からの申出により内山登管理官から第二班に対する特別休暇承認が発せられたのであるから、前記第二班休憩所、矢岳、大塚林道の状態に加えて増々激しくなつてきた右時点における降雨状況からすれば、直ちに右休憩所に待機している第二班作業員らに対し下山の指示をすべきであつたのに、自己の判断をもつて、直ちに下山の指示を出すことをしなかつた。

しかしながら、右豪雨は、その後も一向に止まなかつたため、宮川主任は、午前一一時四五分ないし五〇分ころ前記作業員らを下山させるべく大塚事業所の杉本学、森義勝の両係員を車で第二班休憩所に派遣したが、途中車が水につかつて走行不能となつたため、右下山指示は結局伝達されず、このことは、午後零時一〇分ころ宮川主任の知るところとなつた。

右のように林道が、雨水のため車のエンジンが停止するような状態であれば、第二班休憩所に待機している作業員及び大塚林道で作業している永井が危険な状態にあることは明白だから、宮川主任としては、右作業員の生命、健康を危険から保護するため、何らかの緊急措置をとるべきであつたのに、宮川主任は何らの措置をとらなかつた。

(エ) ところで、宮川主任離班後しばらく経つたころから、雨は地面をたたくという形容があてはまるほど激しくなつてきたところ、第二班休憩所で待機していた前記作業員らは、宮川主任からの下山の指示がなかつたため、不安を募らせながらも、昼食を取るなどしてなおも待機していたが、午前一一時四〇分ころ、これ以上同所に待機すれば、孤立し、下山できないおそれがでてきたので、德重班長の判断により、その頃下山を開始し、途中山嶽橋付近で待機していた永井を同乗させて本件災害現場まで下山してきた時に前記2のとおり本件災害に遭遇したのである。

右に述べたとおり、宮川主任の第二班作業員に対する当日の業務命令は、まず、当日の現場作業に従事させたことにおいて過失があり、次いで、宮川主任が第二班休憩所に着いた午前一〇時三〇分ころから同休憩所を離れる午前一〇時四五分までの間に下山の指示をしなかつたことにおいて、更に大塚事業所に帰着後、特に内山管理官からの特別休暇承認の指示があつた後も、特別休暇を含む下山の指示をしなかつたことにおいて、本件災害の発生につき、未必の故意又は少なくとも過失があつたというべきである。

以上のとおり、本件災害は、被告が、大塚林道の安全を確保すべき義務に違反してその整備を怠り、かつ、被用者であり上司であつた宮川主任が臨機応変に適切な業務命令をすべき業務に違反して不適切な業務命令をしたため、惹起されたものである。したがつて、被告は、本件被災者らの死亡について労働契約に基づく安全配慮義務を怠つた責任及び民法七一五条に基づく使用者責任を負うべきである。

4  損害

(一) 逸失利益

本件災害当時、各被災者はいずれも健康な男性労働者で、その年令・年収・新ホフマン係数等は別紙損害一覧表(一)ないし(五)の各1欄記載のとおりであり、右資料を基礎にして各被災者の逸失利益を計算すれば、右一覧表の各2欄記載のとおりとなる。

(二) 被災者本人の慰藉料

本件災害により、各被災者は、はかり知れぬ苦痛と悲嘆に満ちて死亡したことは想像に難くなくこれらの苦痛は金銭に評価し難いが、あえて金銭に見積れば、右一覧表(一)ないし(五)の各3欄記載のとおり一人当り金一、五〇〇万円を下ることはない。

(三) 原告ら固有の慰藉料

原告らは、本件災害により一家の支柱を喪ない、悲嘆の底に落とされ、これら原告の悲しみ、苦痛は金銭に評価し難いが、あえて金銭に見積れば、右一覧表(一)ないし(五)の各6欄記載のとおりである。

(四) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟を、その特質上弁護士を訴訟代理人として委任せざるを得なかつたところ、右弁護士に報酬として支払うべき金員としては、右一覧表(一)ないし(五)の各7欄記載の各原告の損害額のうち各一割に該る金員が相当であり、右金員は、本件災害と相当因果関係にある損害というべきである。

5  原告らの相続

原告番号18、21、22を除くその余の原告らはいずれも前記1のとおり本件各被災者らの妻、子であるところ、右被災者の死亡により、前記3の(一)、(二)の各損害賠償請求権を前記一覧表各4欄記載のとおり各相続分に応じて承継取得した。

6  むすび

よつて、原告らは被告に対して、別紙請求金額目録記載の各金員及び右金員の内同目録内訳損害額欄記載の各金員に対する本件災害当日である昭和五四年七月一七日から、同弁護士費用欄記載の各金員に対する訴状送達の翌日である昭和五五年一一月一一日から、各支払いずみまでいずれも民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2は認める。

3  同3について

(一) (一)のうち、冒頭の大塚林道の利用状況の点は認めるがその余は争う。いわゆる大塚林道は道路法三条四号、八条にいう市道であつて、人吉市の管理下にあるものである。

(二) (二)(1)のうち大塚林道が被災者五名を含む大塚事業所職員らの通勤、作業用道路として使用されていたことは認めるが、その余は否認する。被告は、本件林道の保守点検には十分意を用いて整備を行つてきた。

(三) 同二(2)のうち、昭和五四年六月一日から本件災害当日までの人吉地方の気象状況(大雨洪水警報等の発令状況、一日の降水量等)が別表Aのとおりであること、六月二八日の豪雨の際、宮川主任が第二班に特別休暇を与えたこと、右豪雨による道路の被害状況(道路の決壊・不通)が原告ら主張のとおりであること、本件災害当日(七月一七日)、被災者五名を含む第二班作業員が就労したが、豪雨のため屋外作業ができず、第二班休憩所で待機し道具の手入等をしていたこと、同所には大塚担当区の肝付信一、寺床要一の両名も来ていたこと、第二班の森林電話が不通であつたこと、当日、第二班作業員らに関し宮川主任及び大塚事業所の杉本、森両係員のとつた行動がおおむね原告ら主張のとおりであること、第二班作業員らが、原告ら主張の順序、経路で下山途中に本件災害に遭遇したことは認めるが、その余は争う。

4  同4は争う。

5  同5のうち相続関係部分は認める。

三  被告の主張

1  大塚林道について

(一) 大塚林道建設の経緯

(1) 本件災害に係る大塚林道(人吉市道大塚桑木津留線)は、昭和三年に、現人吉市大塚地区の国有林野事業遂行のために、旧藍田村大字間字前平の大塚部落(現人吉市東大塚町字前平)と字昌明寺国有林三二林班とを結ぶ延長四七四六メートルの車道(いわゆる馬車道)を新設し、翌四年三月、県道(現国道二六七号線)から分岐し、本件林道起点までの藍田村村道一万五八〇メートルを併用林道として右車道とともに供用開始したことに始まる。

(2) その後、昭和七年に、右車道の路体を利用して旧藍田村大字間(現人吉市西間上町)の人吉営林署人吉貯木場を起点とし、旧藍田村大字間(現人吉市東大塚町)字昌明寺国有林三二林班及び字間国有林二八林班を終点とする総延長一万六六八八メートルの森林鉄道を新設するとともに、藍田村村道が県道に編入されたことに伴ない、同村道についての併用協定を解除した。

(3) 更に、昭和二八年に至り、自動車の普及に対応するため、右森林鉄道の軌道を撤去し同軌道敷を拡幅して幅員三・六メートルの自動車道にするため、人吉市から市道認定と拡幅用地の提供を受けて、延長六二一四メートルの改良工事を行い、現在に至るものである。

(二) 本件林道併用協定の経緯

(1) 本件大塚林道は、前記のとおり、昭和二八年に既設の森林鉄道敷を主体として自動車道に改良した路線であるが、人吉市は右改良工事に際して拡幅用地を提供するため同年本件林道のうち人吉市東大塚町字前平(林道起点)から東大塚町字岩塚までの延長四八三八メートルを人吉市道大塚桑木津留線として認定し、同部分につき同市長と熊本営林局長との間に併用協定を締結し、更に、同三三年一一月一日これが更新のための再協定を締結した。

右協定は、昭和三八年に協定期限の到来により、一旦消滅したが、同四二年九月一〇日に同区間を再協定した。

(2) 右四二年協定の概要は、

(ア) 修繕及び改良に要する費用は、原則として受益の程度をもとにして負担をすることとし、その受益割合は、国(人吉営林署)が八〇パーセント、人吉市が二〇パーセントとする。

(イ) 災害復旧については、人吉市が本件林道起点から九六八メートル地点までを担当することとし、人吉営林署は右九六八メートル地点から本件林道終点までの延長三八七〇メートルを担当する(本件災害発生箇所は、人吉営林署の担当区間)。

(ウ) 併用協定期間は、併用協定締結の日から五年間とし、必要に応じて更新する。

というものである。

(3) 以上のとおり、本件林道は、昭和二八年から現在まで、人吉市が市道として管理するとともに国(人吉営林署)は、併用協定に基づき維持補修等の責を果してきたものである。

なお、その間、併用協定には空白の期間があるが、国(人吉営林署)は、この空白期間においても消滅前の併用協定の趣旨に従い、本件林道の維持補修を担当していたものであり、本件災害発生当時においては、前述の昭和四二年締結に係る併用協定の内容に従い、これが維持補修等の責に任じていたものである。

(三) 本件災害発生当時の災害発生箇所付近における権利及び維持管理関係は次のとおりである。

(1) 所有関係

道路幅員約三・六メートルのうち国有地は、約一・八メートルでその余は昭和二八年の改良建設工事に際して人吉市が提供した人吉市有地である。

(2) 管理関係

道路法一六条に基づき人吉市が管理。

(3) 維持補修関係

昭和四二年九月一〇日締結の併用協定に従い国(人吉営林署)が担当。

2  本件林道の安全性

(一) 道路の設置、管理に瑕疵がないというためには、道路が「通常有すべき安全性」を具備していることを必要とすべきであるとされている。何が「通常有すべき安全性」であるかを考慮するに当たつては、道路一般を対象として理想的、又は平均的道路像からみて、これを判断してはならないのであつて、当該具体的道路を前提として、その置かれている社会環境に照らして、その効用、性能、規格を考え、その見地から、その種類、程度の道路として社会的に通常どの程度の、どのような安全性を具備することが要請され期待されているかということによつて判断しなければならない。本件林道の年間当たりの運行台数は、昭和五四年九月二八日人吉市長と人吉営林署長が締結した併用林道協定書によれば三六四六台で一日平均一〇台程度と極めて少なく、これは道路構造令(昭和四五年一〇月二九日政令第三二〇号)三条によると第三種第五級の最下級の構造基準の道路である。なお、第三種第五級の道路とは、地方部の山地部にある市町村道で、一日の計画交通量が五〇〇台未満の道路をいうものである。

(二) 本件林道の維持補修については、道路の維持補修を専門とする道路工手を配置し、維持補修に努めるとともに、特に、大雨などによる落石、路面の荒れ、側溝などが詰まつたときには、宮川主任から直接道路工手に補修の指示をし、これで補修が不可能な場合には人吉営林署でもつて、維持補修を行つてきた。また、落石や土砂崩壊などが予測される箇所については、その防止のためモルタル吹付工事、ロック覆網工事、ブロック積工事などを施工するとともに、転落防止などのためガードレールを設置し、道路の安全性の確保、維持に努めてきた。加えて、本件林道は昭和二八年に自動車道に改良されてから、本件災害発生までの間、本件のような災害は、一度も発生しなかつた。

(三) 以上のように、本件林道は、交通量の極めて少ない山間の狭あい嶮岨な土地を通過する道路であり、その置かれている社会環境に照らして、その効用、性能、規格などから考えると、道路としての通常有すべき安全性に何ら欠けるところはなかつたものであり、道路の設置、管理上必要とされる防護施設についても、現在の科学技術水準では通常予想できない自然現象に起因する不可抗力によるものまでも要求されるものではないから、本件土石流による本件災害の発生を防止できなかつたとしても、本件林道について、その設置、管理に瑕疵はなかつたというべきである。

原告らは第二班の通勤路の整備を怠つたために、本件災害が起つたものであり、この点をとらえて被告が、安全配慮義務に違反している旨主張するが、以上述べたとおり、人吉市又は被告において、本件林道の整備を怠つていた事実はなく、右の点についても被告には、何ら安全配慮義務に欠けるところはなかつた。

(四) ところで、原告らは、本件林道の本件災害箇所にあつた暗渠が詰まつていたことが土石流発生の原因であると主張するが、仮に同暗渠が詰まつていたとしても、本件土石流は本件林道から約六〇メートルも離れた上方で発生したものであり、本件土石流の発生とは、何ら関連がない。また、仮に、本件災害発生箇所に原告らの主張する防護施設を備えていたとしても、本件土石流による災害の発生を防止することは明らかに不可能であり、本件災害は原告らが主張する防護施設の有無とは関係がない自然の暴威の不可抗力によるものというべきである。

3  本件災害当日にとつた措置の相当性

(一) 現場職員を出勤させたことの相当性

(1) 本件災害当時における第二班の班員(通勤経路が異なる植木平三郎を除く)六名及び被災者永井侃は、毎朝午前七時二五分に人吉貯木場を発車するミニバスによつて作業現場に通勤していたが、本件災害の前日から本件事業所に宿泊していた宮川主任は、本件災害当日ミニバスが発車する午前七時二五分ころの事業所付近の降雨の状況では、就労することができないほどのものではなく、通勤路である大塚林道及び矢岳林道も、通行に支障はないものと判断し、ミニバスを通常どおり運行させた。

(2) ところで国有林野事業においては、山間の屋外作業が多いため、通勤途上の交通災害の防止並びに作業の安全確保については、署長以下主任らにおいて常日頃から細心の注意を払つているところであり、降雨、降雪などの悪天候に対する判断についても、これを的確に行うため、テレビ、ラジオ、新聞などにより気象情報の把握にも努めているが、気象台の予報は、現在においても局所的な予報は不可能であり、しかもある程度広い地域を対象とした可能性予報の域を出ないのが実情で、大雨洪水注意報、大雨洪水警報、暴風雨警報が発令された場合においても、即、大雨が降るとは限らないのである。

そのため、各事業担当者が事業実行するに当たつては、大雨洪水警報などの発令がなされていても、即、各作業すべてについての就労中止措置をとるものではなく、警報などの発令をも考慮に入れたうえ、前日までの降雨の状況、その時の気象状況、河川の状況、通勤路及び作業現場の状況などを総合的に判断し、作業の変更、中止など、その時々の状況に見合つた対策をとるのは当然の措置なのである。ちなみに、本件林道を利用し、人吉市立大塚小学校及び同第四中学校に通学している桑ノ木津留地区の小中学生らも、当日は平常どおり登校し、午前中の授業を受けた後、午後の授業が打切られている。

以上述べたとおり、宮川主任が出勤停止の措置をとらなかつたことについては、何らの過失も存しなかつたのであり、かつ、人吉営林署長が出勤停止の措置を取らなかつたからといつて、被告には何ら安全配慮義務に反するところはなかつた。

(二) 就労中における指示の相当性

(1) 本件事業所の現場職員が就労した後においても、降雨は続いていたので、宮川主任は、従前の作業の実態から、第二班では当然被災者德重班長の判断により屋内での器具整備作業に切替えるものと思つたが、念のため德重班長に屋内作業の指示、確認をするため、午前八時一五分ころ森林電話をかけたが不通になつていた。そこで宮川主任は、処理中の事務をすませるとともに、午前九時五〇分ころ他の事業所の状況を聞くため、人吉市上田代町にある人吉営林署段塔製品事業所主任田代俊也に電話照会したところ、同事業所では、作業現場、通勤路、降雨の状況からして下山させる予定であり、また、同署大畑製品事業所では、まだ作業をしているとのことであつた。

(2) 午前九時五五分ころには、雨は幾分小降りになつていたが、宮川主任は、取りあえず現場に向うことにし、午前一〇時ころ、車で本件事業所を出発し、道路の状況を点検しながら現場に向つたが、まず、道路の維持補修を専門とする被災者永井の様子をみるため、第二班休憩所への分岐点を通り過ぎ、本件林道を下つたところ、災害発生箇所から約二〇〇メートル林道起点寄りの箇所で林道補修作業に従事している被災者永井を発見した(別紙見取図参照)。

そこで被災者永井に宮川主任が、屋外作業を中止し、第二班休憩所での器具整備をするよう指示したところ、被災者永井は「大丈夫ですばい。」と答えたので、宮川主任は、降雨が激しくなつた場合は最寄りの本山宅に行くこと、それまでは落石の危険のないところで作業するよう指示をした。なお、この時、午前一〇時一五分ころであつた。

ところで宮川主任は、被災者永井は本件林道の補修を受持ち、同林道の状況を最もよく知つている者であり、同人が補修作業ができないほどではないと判断したことも考慮して、右指示にとどめたものである。

(3) そこで、宮川主任は、林道を引返し、第二班休憩所へ向い、午前一〇時三〇分ころ、同休憩所に着いたところ、同班は、德重班長の判断で屋内作業(器具整備)を行つており、また、大塚担当区事務所造林班の二名も同休憩所に待機していた。同班長は「今日は、この雨なので一日器具整備をするばい。」と申出た。宮川主任は、第二班休憩所の設置場所は、周囲が緩傾斜地で、沢も小さく、この当時の降雨の状況では、特段の危険も感じなかつたので、未だ下山させる必要はないものと判断し、德重班長の申出どおり、このまま屋内作業を続けることを指示し、午前一〇時四五分ころ、事業所に向つて同休憩所を出発した。

宮川主任が帰途の際に見た桑ノ木津留川の状況は、毎年梅雨期に見られる程度のもので、特に警戒するほどのものではなかつたし、道路の状況についても、路面を水が流れていた箇所はあつたものの、路面自体は何ら傷んでおらず、同主任は何の支障もなく午前一一時ころ、事業所に帰り着いた。

(4) 宮川主任が事業所に帰り着いたころから降雨は急に激しくなつたので、第一班が先の六月二八日の集中豪雨で決壊した国道二六七号線を通勤路としていることから、宮川主任は、第一班の状況把握のため電話連絡と、その対策のため人吉営林署内山管理官に電話報告するなど応答に当たつたが、第二班については、休憩所での屋内作業を指示したこともあり、暫時、模様をみることとしていたのである。

その間、午前一一時三〇分ころ、内山管理官から宮川主任に降雨の模様について電話照会があつたが、降雨が激しい状態であつたので、宮川主任は「今直ちに移動させることは心配もある。いつ下山させるかは現地の実態もあり、主任に委せてほしい。」と応答し、同管理官の了解を得たのである。

(5) しかし、その後も一向に雨は小降りにならないため、宮川主任は、午前一一時五〇分ころ、通勤路が不通になることも考慮して第二班に下山(特別休暇)の指示をするため、事業所事務所職員杉本、森の両名を第二班現場に向わせたが、桑ノ木津留地区を出た地点(別紙見取図参照)で軽自動車が動かなくなつたため、午後〇時一五分ころ右職員は歩いて事務所に帰つてきた。

このため、宮川主任は、第二班については今直ちに行動するより第二班休憩所にいる方が安全であると判断し、降雨が衰えるのを待つていた。この間に、第二班班員らは独自の判断により下山することを決め、早目に昼食をとつたうえ、午前一二時ころ、ミニバス二台と植木の自家用車に分乗し、第二班休憩所を出発し、德重班長の指示によつて、山嶽分岐点から右折し約一五キロメートル離れた人吉市西間上町にある人吉貯木場に向う途中、本件災害に遭遇したものである。

(6) 災害発生当日の人吉測候所観測の時間別降水量は、別表B記載のとおりである。

以上の次第であつて、宮川主任が午前一〇時三〇分ころ第二班休憩所に赴いた際、前記降雨の状況及び現地の実情を総合的に判断して、屋内作業を指示したことは当時としては適切な措置であつたというべきであり、被災者らを右時点において下山させなかつたことにつき同主任には何らの過失も存しなかつたものというべきである。そして、右被災者らを下山させなかつた点についても、被告には何ら安全配慮義務に反するところはなかつた。

原告らは、右時点において第二班班員らが下山していれば本件災害に遭遇しなかつたから宮川主任のとつた措置に過失があつた旨主張するが、かような論法が許されるならば、第二班班員らが宮川主任の指示どおり屋内作業を続けていれば本件災害に遭遇しなかつた(第二班班員らが独自の判断で下山したことにつき過失があつた)旨の主張も許されるはずである。

しかしながら、右はいずれも結果との因果関係のみで過失を推定するという、いわゆる結果論に基づく主張であつて、現在の過失責任の理論からは認められない思考方法である。そして、要するに本件においては、右午前一〇時三〇分ころの時点において、宮川主任の置かれた状況のもとで同主任が第二班班員らに屋内作業を指示したことについて過失があつたか否かがまさに問われなければならない。そして、当時の状況のもとで宮川主任がとつた措置が安全性の見地から不当であると認められない限り、同主任のとつた措置に過失はない。

そして、前記のとおり、宮川主任の屋内作業の指示は德重班長の申出に基づいており、他の班員からも同主任の指示につき異議はなかつたのであり、同指示が不当なものでなかつたことは右の点からも明らかである。

4  土石流発生の原因としての集中豪雨

(一) 本件災害当日の人吉地方に降つた集中豪雨は、地域的に狭く、短期間に集中し、降雨強度も人吉市で日降水量一九三・五ミリメートル、時間降水量は一一時から一二時までの一時間に五〇ミリメートルあり、この一時間のピーク雨量は日降水量の約二六パーセントにも達した。

集中豪雨は、最も直接的に土石流の発生を支配する多量の水の供給源になるのであるが、それの定量的予測は極めて難かしく、土石流の発生源である山間へき地で、異常な降雨の時の水の収支状態を正確に観測したような例もほとんどないのであるから、どれだけの集中豪雨があれば土石流が発生するかを予知、予測することは、不可能といわざるを得ない。ちなみに、昭和五四年六月二八日に人吉市においては、日降水量二六三・五ミリメートルあり、本件災害当日の一・三六倍あつたのにもかかわらず、土石流の発生はなかつた。

(二) 本件土石流発生箇所(別紙図面参照)の基岩は輝石安山岩で、崩壊地の真上は約九メートルの崖となつており、崖の上には小径木の広葉樹が密生している。その上方は三、四年生のスギ造林地で、その上部には、おおむね三〇年生のスギ造林地があり成育は良好である。

土石流発生の要因となつたと推定される崩壊地(幅約二〇メートル、長さ約三五メートル、面積約四〇〇平方メートル、以下「A崩壊地」という。)は、四、五年生のスギ造林地で傾斜は約三五度である。また、これに接する崩壊地(幅約一五メートル、長さ約一五メートル、面積約一〇〇平方メートル、以下「B崩壊地」という。)は、六、七年生のスギ造林地で崩壊後は、傾斜約四〇度になつているが、崩壊前の傾斜は約三〇度であつたと推測される。

これらのA、B崩壊地は大塚林道より約六〇メートル上方に相対しており、土石流の発生機構は、まずA崩壊地が集中豪雨により崩落し、崩土が谷をせき止め、いわゆる天然のダムを形成し、加えて相接するB崩壊地の崩落土が重なり、それに貯留した流水が土砂に浸透し飽和状態になるとともに、その圧力によつて、この天然のダムが欠壊し貯留されていた水とともに崩落していた土石が急激に流下し、いわゆる土石流となつて一挙に傾斜二七度の谷を流出したものであり、本土石流の総流出土砂量は、三〇〇ないし五〇〇立方メートルと推測される。

(三) 本件災害発生箇所付近の民有林地には、被告において調査した限りにおいては、かつて、土石流が発生したことはなく、その痕跡も全く見当たらなかつたのであつて、安定した土層を形成していたものというべきである。

また、災害当日、本件災害発生箇所上流の桑ノ木津留地区の裏山が約一万九〇〇平方メートル崩壊し、人命には被害はなかつたものの家畜の被害を出し、永年住んでいる地区民ですら、これの発生を予測し得なかつたのである。

(四) 以上のとおり本件災害の原因は、自然現象たる外力によるものであり、経験則上、予見不可能な異常な局地的集中豪雨を誘因として、突発的に発生した土石流によるものである。

かかる土石流発生の予測は、現在の学問的水準をもつてしては不可能であり、もちろん、人吉市や被告においても、これを予測し、本件災害を未然に防止することはできなかつたのである。

5  損害論について

仮に被告に責任があるとしても、支払うべき損害額は、以下に述べるところによつて算定すべきである。

(一) 原告らの損害について

(1) 得べかりし給与等

(ア) 原告らは、被災者らの得べかりし給与等の始期を明確にしていないが、被災者らは死亡した月(昭和五四年七月)までの給与は受給しており、したがつて得べかりし給与等の始期は翌月の昭和五四年八月となる。

(イ) 被災者らの就労可能年数について、原告らは、被災者らは満六七歳まで就労可能であると主張するが、昭和五三年三月三一日に林野庁と労働組合との間に締結した「高齢基幹作業職員の退職の取扱いに関する協約」(以下「基職退職協約」という。)二条及び同五二年一二月二三日に締結した「定員内高齢職員等の退職の取扱いに関する協約」(以下「定員内退職協約」という。)二条により、基幹作業職員及び定員内職員の最終勧奨退職日は、満五九歳三か月に達する月の末日となつている。ただし、右協約附則三条により、昭和五五年三月三一日において満五九歳三か月以上満六〇歳三か月未満の者の最終勧奨退職日は、同年四月一日とみなすことになつている(なお、本件被災者らは全林野労働組合員であつた。)。

これにより、被災者らの退職日はそれぞれ別表2「退職年月日」のとおりとなる。

(ウ) 原告らは、被災者の年収額の算出の基礎も明らかにせず計上しているが、昭和五四年八月一七日に林野庁と労働組合との間に締結した「基幹作業職員の基準内賃金に関する協約の一部を改正する協約」の基本給月額表及び「月給制職員の基準内給与に関する協約の一部を改正する協約」の俸給月額表が同年四月一日にそ及して適用されることになつたので、右協約の基本給月額表及び俸給月額表(以下「給与月額表」という。)を算出の基礎とすべきである。また、昭和五二年一二月二三日に締結した「基幹作業職員の基準内賃金に関する協約」(以下「賃金協約」という。)一八条及び同四五年一二月二三日に締結した「月給制職員の基準内給与に関する協約」(以下「給与協約」という。)二二条により翌年度以降については右号俸に毎年四月一日をもつて四号俸の定期昇給がある。

なお、賃金協約一九条及び給与協約二四条により、退職の日において、現給経過期間が三月以上ある場合には、その期間に対応する号俸の昇給がある。

これにより、被災者らの本件災害発生時から退職時までの各年度ごとの号俸及び給与月額は別表1「号俸」及び「給与月額」のとおりになる。

(エ) 扶養手当については、賃金協約四〇条、四二条、給与協約四七条、四八条(昭和五二年一〇月四日改正)により主として被災者の扶養をうけていた配偶者は月額三五〇〇円であり、満一八歳未満の子は月額六〇〇円である。これにより被災者らの扶養親族数と扶養手当は別表1「扶養手当」のとおりとなる。

(オ) 期末手当等は、「昭和五四年度における夏期手当の支給に関する協約」、「昭和五四年度における年末手当の支給に関する協約」及び「昭和五四年度における年度末手当の支給に関する協約」により(ウ)の給与月額と(エ)の扶養手当との合計額の、夏期手当一・九か月分、年末手当二・五か月分、年度末手当〇・五か月分である。

(カ) 原告らは、所得税を控除していないが、これを控除すべきである。また、生活費として控除すべき額は各被災者についていずれも五割が相当である。

(キ) 昭和五四年八月以降退職時までの得べかりし給与等をもとに、年五分の利率によるホフマン方式計算係数表(法定利率による単利年金現価表)を用いて被災者らの死亡時の得べかりし給与等の現在価を算出すれば別表1「現価」のとおりとなる。

(2) 得べかりし退職手当

(ア) 退職手当の基礎となる被災者らの退職時の俸給月額は、前記(1)(ウ)で述べたとおり昭和五四年四月一日現在の号俸に毎年度四号俸の定期昇給が退職する年度まで加算されるとともに、賃金協約一九条、給与協約二四条並びに基職退職協約五条及び定員内退職協約五条により退職時に特別昇給があり、別表2「退職日の号俸」及び「給与月額」のとおりとなる。

(イ) 被災者らの勤続年数及び国家公務員退職手当法五条(ただし、被災者永井侃は同法三条)一項及び付則(昭和四八年五月法律第三〇号)五項により、その退職手当支給率等は、別表2「勤続年数」及び「支給率」のとおりである。

(ウ) 退職手当についても、所得税控除がなされるべきであり、また、各被災者についていずれも五割の生活費控除が相当である。

(エ) よつて、被災者らの退職手当は別表2「退職手当」のとおりになり、これから所得税等を控除した額(同表「控除後の退職手当」)にホフマン方式計算係数を乗じた死亡時の退職手当の現在価は同表「現価」のとおりとなる。

(3) 得べかりし退職年金等

(ア) 被災者らは、国家公務員共済組合法(昭和三三年法律第一二八号)(以下「共済法」という。)の組合員であるため、退職することにより同法七六条の退職年金若しくは同法八〇条の退職一時金が共済法により支給される。退職年金は、共済法七六条二項により組合員期間が二〇年以上である者が退職したときは、その者が死亡するまで俸給年額(給与月額に一二を乗じて得た額)の一〇〇分の四〇に相当する金額(組合員期間が二〇年を超えるときは、その金額にその超える年数一年につき俸給月額(給与月額)の一〇〇分の一・五に相当する金額を加えた金額)を、また、同法八〇条により組合員期間が一年以上二〇年未満である者が退職した場合は、退職一時金として俸給日額(給与月額を三〇で除して得た額)に組合員期間に応じて定められた日数を乗じて得た金額が支給される。

(イ) 退職年金等についても、所得税控除がなされるべきであり、また、各被災者についてもいずれも五割の生活費控除が相当である。

(ウ) 被災者らが本件災害により死亡せず仮に平均余命まで生存したとした場合の退職年金若しくは退職一時金は別表3「退職年金」、「退職一時金」のとおりであり、これから所得税等を控除した額(同表「控除後の退職年金等」)に年別ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して被災者らが生涯にわたつて得るであろう退職年金若しくは退職一時金の現在価を算出すると、別表3「現価」のとおりとなる。

(4) 得べかりし利益の総額

被災者らが本件災害により死亡せず仮に平均余命まで生存したとした場合の得べかりし利益の総額は、別表6「総額」のとおりである。

(5) 債務不履行についての原告ら固有の慰謝料

原告らは、本件災害により被害を受けたとして慰謝料を求めているが、一般に使用者である被告に労働者の安全を配慮すべき義務があるとしても、その義務は、被災者の家族にまで及ぶものではないので、債務不履行(安全配慮義務違反)にもとづく損害賠償請求としては原告ら固有の慰謝料を求める部分は主張自体失当である。

(6) 被災者本人の慰謝料

原告らは、各被災者の年齢にはかかわりなく、各被災者についていずれも一五〇〇万円の慰謝料を主張しているが、被災者の年齢に応じて、相当の慰謝料が定められるべきである。

(7) 遅延損害金について

債務不履行に基づく損害賠償債務は、いわゆる期限の定めのない債務であつて、民法四一二条三項の規定により、履行の請求を受けた日の翌日から遅滞の責に任ずるものであるから、訴状送達以前の遅延損害金を求める部分は失当である。

四  抗弁(損益相殺)

1  原告らに対する補償

(一) 国家公務員の公務上の災害(負傷、疾病、廃疾又は死亡をいう。)に対する補償は、国家公務員災害補償法(以下「公災法」という。)人事院規則一六―〇(職員の災害補償)(以下「災害補償規則」という。)及び人事院規則一六―三(災害をうけた職員の福祉施設)(以下「福祉施設規則」という。)に基づき、補償の実施権者である林野庁長官の権限委任を受けて営林署長が実施しているものであり、公務上の災害で死亡した場合の補償として遺族補償年金及び葬祭補償、また福祉施設として奨学援護金、就労保育援護金、遺族特別支給金、遺族特別援護金及び遺族特別給付金が支給され、さらに林野庁長官通達に基づく弔慰金及び特別弔慰金が支払われる。

(1) 遺族補償年金は、公災法一六条、一七条により一定の要件を備えた遺族の人数等に応じ一日当たりの平均給与額(以下「平均給与額」という。)に三六五を乗じて得た額の百分の三五から百分の六七に相当する額〔平均給与額に一五三から二四五を乗じて得た額〕を年金として遺族に対し生涯支給する(〔〕は本件災害後の改正分、以下同じ。)。

(2) 葬祭補償は、公災法一八条及び災害補償規則三一条により葬祭を行う者に対し一五万円に平均給与額の三〇日分を加えた額を支給する。ただし、その額が平均給与額の六〇日分に満たないときは平均給与額の六〇日分を支給する。

(3) 奨学援護金は、福祉施設規則一五条、一六条により遺族補償年金の受給権者で学資の支弁が困難である者等に対し、子弟の義務教育から大学までの就学期間について、その学校の区分に応じ在学者一人につき月額三千五百円から一万一千円〔四千五百円から一万五千円〕を支給する。

(4) 就労保育援護金は、福祉施設規則一七条の二により遺族補償年金の受給権者で自己の就労のため未就学の子を保育所等に預けている者のうち、保育費用を援護する必要があると認められる者等に対し、保育児一人につき月額三千五百円〔四千五百円〕を支給する。

(5) 遺族特別支給金は、福祉施設規則一九条の三により遺族補償年金の受給権者に対し、二〇〇万円を支給する。

(6) 遺族特別援護金は、福祉施設規則一九条の五により公務上死亡した職員の遺族に対し、一〇〇万円を支給する。

(7) 遺族特別給付金は、福祉施設規則一九条の一〇により受給権者に対し、遺族補償年金の額((1)の額)に一〇〇分の二〇を乗じて得た額の年金を生涯支給する。

(8) 弔慰金は、林野庁長官通達「弔慰金等の支出について(昭和四四年一月二一日付け四三林野厚第八七四号)」により、公務に関連して死亡した者一名につき一〇万円を支給する。

(9) 特別弔慰金は、林野庁長官通達「弔慰金の支出に関する特例措置について(昭和五四年一二月四日付け五四林野厚第五一六号)」により、公務災害による死亡がなかつたならば年末手当の支給を受けることができた者(昭和五四年六月二日から同年一〇月三一日までの間に死亡した者)に対して一二万円を支給する。

(二) 被災者らは共済法の組合員であつたから、被災者らの遺族には、短期給付として弔慰金、また長期給付として遺族年金が支給される。

(1) 弔慰金は、共済法七〇条により組合員が死亡したときは俸給の一月分(給与月額)に相当する金額を遺族に支給する。

(2) 遺族年金は、共済法八八条により組合員が公務傷病により死亡した場合俸給年額(死亡前一年間の給与額)の一〇〇分の四〇に相当する金額(組合員期間が二〇年を超えるときはその超える年数一年につき俸給年額の一〇〇分の一・五に相当する金額を加えた金額)を年金として遺族に生涯にわたつて支給する。

遺族補償年金、遺族特別給付金及び遺族年金については、国民の生活水準、国家公務員の給与、物価その他の諸事情に著しい変動が生じた場合には改定されることになつており、原告らが昭和五九年九月から仮に平均余命(昭和五九年一〇月一日現在、厚生省簡易生命表)まで生存するとして、その間に支給を受けるべき遺族補償年金などの総額は現時点の計算で別表5「今後支給される遺族補償年金等の計算表」のとおりとなり、これに既に支給済みの別表4の額を加えると別表7「総額」の額になる。

2  損益相殺

被告は、公災法に基づき、前記1の(一)記載の補償を原告らに給付しており、今後も年金によつて確実に補償されるものである。

したがつて、原告らの損害から右補償額を差し引くべきであり(最高裁判所第二小法廷判決昭和五〇年一〇月二四日・民集二九巻九号一三七九ページ)、既支給額及び今後支給額の現在価の合計額、いわゆる控除額は別表7「総額」のとおりである。

右の控除すべき額を、被災者佐田兼義については原告佐田ミチ子、被災者永井侃については原告永井サナエ、被災者德重静美については原告德重ハルミ、被災者肝付榮藏については原告肝付ヤエ子、被災者山本孝春については別表8のとおり原告肝付ヒロ子、同山本淳及び同山本印の各損害から、損益相殺されるべきである(前掲判決参照)。

五  被告の主張及び抗弁に対する原告らの認否

1  被告の主張に対する認否

大塚林道建設及び同林道併用協定の各経緯、本件災害発生当時、被告が本件林道の維持補修の責に任じていたこと、第二班班員らの通勤時刻及び通勤手段が被告主張のとおりであること、災害当日の人吉測候所観測の時間別降水量が別表Bのとおりであることは認めるが、その余は争う。

2  抗弁に対する認否

(一) 抗弁1(二)のうち原告佐田ミチ子、同永井サナエ、同肝付ヤエ子、同德重ハルミ、同肝付ヒロ子、同山本淳が別紙受領済金額表記載の金員を受領したことは認める。

(二) 同2は争う。

遺族補償年金、遺族特別給付金、奨学援護金のように、将来にわたつて継続して給付されるものについては、現時点で給付されたものではないこと、受給資格、受給権の有無及び金額につき不確定要素が多いこと、公災法五条一項は「補償を行つたとき……その価額の限度においてその損害賠償の責を免れる。」と規定していることから考えて、将来の未給付分について損益相殺することは妥当でない。

第三  証拠<省略>

理由

第一本件災害の発生並びに大塚事業所の概容及び被災者の身分

一請求原因1及び2は当事者間に争いがない。

二<証拠>に、前記争いのない事実を綜合すると、次の事実が認められる。

(一)  大塚事業所は、人吉営林署事業課に所属する四の製品事業所の一つである。

製品事業所は、国有林の立木を伐採し、製品(丸太)として盤台(索道で搬入された長材を一定の長さに玉切りして整理する場所)及び山床土場(丸太を作る現場近くの道路端などに丸太を整理して集積する場所)まで集材搬出する事業を行うものであり、各事業所には事業所主任及び右主任を補助する定員内職員(農林水産省定員規定((昭和四四年五月二一日農林省訓令第一七号))に定める定員内の職員で、恒常的に置く必要のある常勤の職員、いわゆる農林水産事務官、農林水産技官)が配置されている。

また、右事業を直営で実行する場所には主任らの指揮監督の下で定員外職員(基幹作業職員((右規定に定める定員以外の常勤職員であつて賃金は基本給部分が月額制で、これに能率給を加給している。))、常用作業員、定期作業員、臨時作業員((賃金は日給制))が作業に従事している。

(二)  大塚事業所には、本件災害当時、宮川主任及び同主任を補助する定員内職員が五名おり、また国有林の立木を伐採して、製品(丸太)として集材搬出する作業は二つの班で構成され、それぞれ班長の下で作業していた。

第一班は定員内職員一名、基幹作業職員六名の合計七名であり、第二班は定員内職員一名(被災者佐田集材機運転手)、基幹作業職員六名(被災者德重班長、同肝付栄蔵、同山本ら六名)の合計七名、このほか林道の維持修繕に従事する基幹作業職員一名(被災者永井)がいた。

第二被告の大塚林道管理責任

一大塚林道の性格

1  大塚林道建設の経緯並びに右林道にかかる併用協定の締結及び右協定の概要が被告主張のとおりであることは当事者間に争いがない。

2  <証拠>及び前記争いのない事実を綜合すると次の事実が認められる。

(一) 大塚林道は昭和二八年に既設の森林鉄道敷を主体として自動車道に改良した路線であり、かねて人吉市道大塚桑木津留線(右林道のうち人吉市東大塚町字前平(旧県道分岐点)から同町字岩塚までの延長四八三八メートル)として認定されていたが、昭和四二年に改めて人吉市議会の議決を経て、人吉市長により市道として認定されるとともに、人吉市と熊本営林局の併用林道(国が国有林野事業を遂行するために、市町村道等について当該道路の管理者と協議のうえ併用林道協定を締結し、当該道路を国有林林道に準じて取扱うことにしたものであつて、併用林道の工事に要する費用は、原則としてその道路からの受益の割合をもととして双方協議のうえ負担区分及び施行方法等を決定するものとされている。)として認定された。

そして、右認定に基づき同年九月一〇日人吉市長と人吉営林署長の間で大塚林道の併用協定が締結され、右林道の管理者は人吉市とすること、管理者は右林道を常時良好な状態に保つように努めなければならないこと、右林道の修繕及び改良に要する費用は双方が協議し、原則として受益の程度をもとにして負担するものとし、この場合それぞれ必要の都度別途協定して負担割合を決定すること、双方の受益割合は国八〇パーセント、民二〇パーセントとすること、協定期間は五年間とし、双方協議のうえ更新することができること等が合意された。また同時に双方間で右林道の災害復旧に関する協定が締結され、双方の災害復旧受持区間は人吉市が右林道の起点から九六八メートルの地点まで、人吉営林署が右地点から三八七〇メートルの地点(右林道起点から四八三八メートルの地点)とすること、協定期間は三年間とすること、受益割合は国八〇パーセント、民二〇パーセントとすること等が合意された。

(二) 昭和五四年六月二五日の人吉市議会において大塚林道を含む五五一路線の市道認定を内容とする第四五号議案と大塚林道を含む六五路線の市道廃止を内容とする第四六号議案が可決されたが、これは昭和五二年度に従来の道路橋梁現況調書が廃止され、昭和五七年から地方交付税の算定が道路法による道路台帳によることになつたことにより新規に道路台帳を作成するため、まず第四五号議案で既に市道として認定されている路線と新たに市道に設定すべき路線(この両者の合計が新規に道路台帳を作成すべき全路線になる。)を一括して市道認定の議決をなし、同議決によつて大塚林道を含む六五路線が市道として二重に議決されたことになるので二重認定の路線については第四六号議案で市道廃止の議決をなし、二重認定の解消を図つたものである。

右によれば、本件災害当時、大塚林道は道路法三条四号、八条の人吉市の市道であつたものと認められるが、他方、昭和四二年に締結された併用協定は、協定期間の五年が経過して、昭和四七年に終了していたことになる。

二被告の国家賠償法上の管理者、費用負担者該当性

しかしながら、国(人吉営林署)は右協定期間終了後も前記併用協定の内容に従い、大塚林道の維持、補修を担当し、その費用を負担してきていたことは、被告の自認するところである。そうして、道路法によると、市道の管理はその路線の存する市が行う(同法一六条一項)ものとされ、道路管理者は、当該道路の維持、修繕義務がある(同法四二条)が、道路管理者以外の者は、道路に関する工事の設計及び実施計画について道路管理者の承認を受けて道路に関する工事又は道路の維持を行うことができる(同法二四条)ものとされているが、昭和四七年に併用協定が終了した後に人吉営林署が行つてきた大塚林道の維持補修については、右二四条による人吉市の承認(黙示の承認)があつたものと認められ、実際上も右林道は本件協定で国の受益割合が八〇パーセントとなつていたことからも明らかなように本件被災者五名を含む大塚事業所職員の通勤、作業道路として重要性が高かつたのであるから、このような場合には本件災害当時国家賠償法上は人吉営林署ひいては国が大塚林道の管理にあたつていたものと認めるのが相当であり、仮に国が管理者でないとしても、本件災害当時も本件協定の趣旨に従つて国のなした大塚林道の維持補修に要する費用はそのまま国が負担していたのであるから、被告国は、国家賠償法三条一項の「費用を負担する者」に該当し、いずれにしても右林道の管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、被告において賠償責任を負うものといわねばならない。

三大塚林道・矢岳林道並びに第二班休憩所等の概況

<証拠>を綜合すると、以下の事実が認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

大塚林道、矢岳林道、第二班休憩所、同班の盤台、事業所の位置関係は別紙見取図のとおりであり、標高は本件災害発生地が約四〇〇メートル、右休憩所が約五六〇メートル、盤台(第二班は当日ここで架設作業が予定されていた。)は約五四〇メートルであつていずれも山間部にある。大塚林道は国道二六七号線と交差する付近の起点から南に伸びる上り勾配で幅員約五メートルの曲りくねったアスファルトで舗装された(但し、本件災害当時は、灰床橋まで)道路であり、東側は桑ノ木津留川が南から北へ流れ、西側のほとんどは生育した山林となつていて見通しの悪い部分が多く、別紙図面1のとおり東側の桑ノ木津留川側路肩の相当部分にはガードレールが設置されているが、本件災害発生地付近約五〇〇メートル部分にはその設置がない。

右大塚林道起点から約二・五キロメートルの地点が本件災害発生地であり、そこから南へ山嶽橋までは約三〇〇メートル、山嶽橋から東南の方向へ幅員約三メートルで未舗装の矢岳林道がのびており、右橋から矢岳林道を通つて第二班の盤台までは約二キロメートルで、事業所と第二班休憩所間は約三・八キロメートルである。

四集中豪雨について

<証拠>によると、集中豪雨とは、一般的に比較的短期間に狭い地域に多量に降る雨をいうものとされるが、狭い地域に集中して降るので局地的であり、どこでいつ降りだすか判らないという突発的な性格を持ち、未だ学問的に十分明らかにされていないのでその予報は難しく、土石流、山崩れ、崖崩れなどをひき起こすことも多く、季節的には梅雨期から夏、秋の台風期にかけて多くみられるものであることが認められる。

本件災害当日の人吉測候所観測によると午前零時から二四時間の一時間ごとの降水量は別表Bのとおりであつて(この点は当事者間に争いがない。)当日の総雨量は一九三・五ミリであり、二桁の時間当り降水量を記録したのは午前六時から同七時まで二二ミリ、午前七時から同八時までが二五ミリ、午前九時から同一〇時までが三七・五ミリ、午前一一時から同一二時までが五〇・五ミリ、午後零時から同一時までが二九・五ミリの計五時間であり、零ミリを記録したのが午前零時から同一時まで、午前三時から同四時まで、午後三時から午前零時までの合計一一時間で、〇・五ミリを記録したのが午前四時から同六時まで、午後二時から三時までの合計三時間となつていて、残りの五時間は一桁の降水量を記録しており、梅雨末期の集中豪雨の一種であつたものと考えられる。

五本件災害を起こした土石流について

1  <証拠>によると、土石流とは谷や溪流沿いに土砂や岩石が粥状になつて流れ落ちる現象であり、突発的で破壊力が大きく、一瞬のうちに人命、財産を奪い、集中豪雨のとき発生しやすいものとされていることが認められる。

2  <証拠>を綜合すると、次の事実が認められる。

本件災害発生地及び土石流発生箇所付近の状況は、別紙見取図及び図面(本件災害後の平面図)のとおりである。災害発生地の沢は小さいもので、普段は殆んど水が流れていない。土石流発生箇所の基岩は輝石安山岩で、大塚林道から四、五〇メートル上方の沢を挾んだ両側部分が崩壊地である。沢の北側のA崩壊地(幅約一四メートル、長さ約四〇メートル)は四、五年生の杉造林地で傾斜は約三五度であり、沢の南側のB崩壊地(幅約一一メートル、長さ約一七メートル)は六、七年生の杉造林地で、崩壊後は傾斜約四〇度になつているが、崩壊前の傾斜は約三〇度であつたと推測され、右両崩壊地の崩落土が沢に堆積したうえ、大量の雨水を含んで流出落下し、本件土石流の発生となつたものと推定される。

六被告の瑕疵責任

国家賠償法二条の道路の設置または管理の瑕疵とは、道路が通常有すべき安全性を欠いていることをいうが、道路が事故当時、通常有すべき安全性を欠如していたかどうかは当該道路の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものである。大塚林道は桑ノ木津留地区一七世帯、事業所に勤務する職員の通学、通勤、買物などの生活道路として、また木材搬出などの作業用道路として利用されていたが、前掲乙第一五号証の一によると車両の年間通行量(昭和五四年九月ころ)は、国有林関係二二九〇台、それ以外のもの一〇五一台の合計三三四一台(一日平均九・一五台)と極めて少なく、道路構造令三条によると第三種第五級の最下級の構造基準の道路(地方部の山地部にある市町村道で一日の計画交通量が五〇〇台未満の道路)に該当する。本件災害発生地は国道二六七号線と交わる右林道入口から約二・五キロメートルの地点でありその付近の地質的、地形的条件及び災害発生当日の気象状況は前記三ないし五に記載のとおりである。ところで、証人肝付信一は、本件災害が発生した沢は昭和四〇年代にも一度崩壊して本件林道が不通になつたことがある旨供述しているが、右供述部分には不明確なところが多く、更に<証拠>は、本件災害前の崩壊、土石流の痕跡等は認められないことを併せ考えると、右供述はにわかに措信できない。

以上の事実を総合して考察すると、本件災害現場において、土石流の発生を予測することは困難であつたものというべく、したがつて被告において、本件林道上を通行する車両等に災害をもたらす本件のような土石流の発生に備えて、あらかじめ防護施設(例えば、本件災害後に設けられた堰堤――検証調書添付の写真4、5)を設置していなかつたからといつて、本件林道が道路として通常有すべき安全性に欠けていたものということはできない。また原告らは、本件災害発生地の林道東側(桑ノ木津留川の方)にガードレールが設置されており、同所斜面にある沢を流下する雨水等を導くための暗渠が詰つていなければ、本件災害は未然に防がれたものと主張するが、仮に原告ら主張のガードレールが設置されていたとしても、ガードレールは通常車両運転者のハンドル、ブレーキ等の操作ミスによる転落事故を防止するために設置されるものであつて土石流による転落を防止することまでも要求されるものではなく、本件の土石流の規模から通常のガードレールによつて転落を防止できたものとも認め難い。更に、災害箇所にあつた暗渠が詰つていたとしても、前記のとおり本件土石流は本件林道から数十メートル離れた上方で発生したものと推定されるから、右暗渠の点は本件土石流の発生と何の関係もないものといわねばならない。

以上要するに本件大塚林道の管理に瑕疵があつたものとは認められず、仮に瑕疵があつたとしても、それと本件災害の発生との間に相当因果関係があるものとは認められない。

よつて、この点についての原告らの主張は理由がなく採用できない。

第三被告の債務不履行責任(安全配慮義務違反)、不法行為責任(使用者責任)

一  通勤路の整備義務違反

1  国は公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理、又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を有するものである。そこで、本件大塚林道について、被告に右安全配慮義務の一内容として通勤路としての整備義務があるかどうかを検討するに、右林道は、前記第二の一及び二のとおり、本件災害当時、人吉市道に該当し、人吉市が管理責任を有し(同法一六条一項)、維持修繕義務を負つていた(同法四二条)が、右林道が大塚事業所にとつても職員の通勤、作業用道路として不可欠であつたことから、本件災害発生地を含む右林道の維持補修は現実には人吉営林署が担当し、その費用も同署が負担してきたのである。そうして、前記第二の三のとおり大塚事業所に所属する第二班休憩所及び同班の盤台等の置かれた地理的条件並びに本件林道自体の場所的環境に鑑みれば、かかる山間部で職務に従事する者にとつては、本件のような豪雨その他の風水害等に際し、本件林道は下山路として極めて重要であるとともに気象状況によつてはある程度の危険性を伴なうことが予測される。このような場合には国は前記安全配慮義務の一内容として、通勤路・作業用道路としての本件林道の安全性を確保するため、これを整備すべき業務を負うものと解するのが相当である。

2  <証拠>を綜合すると、大塚林道は、山間部の曲りくねつた道路であるが、沿革的に森林鉄道敷を主体として自動車道に改良した路線であるところから、勾配の緩やかな比較的平担な道路で、周辺の谷なども短かく、人吉営林署管轄の林道の中では条件の良い方であり、桑ノ木津留地区住民の生活道路でもあるためほかの林道に比べてそれだけ通行量も多く、その分だけよく手入れされていたこと、大塚事業所第二班には、道路の維持補修を専門とする道路工手(被災者永井)が配置され、常時本件林道の点検補修に従事していたが、時に大雨などによる落石、路面の決壊などが生じ、道路工手による補修が不可能な場合には人吉営林署で復旧工事を行つてきたものであり、昭和五四年六月二八日の豪雨(日降水量二六三・五ミリで、本件災害当日の日降水量一九三・五ミリの一・三六倍――別表A)により、本件林道の一部(灰床橋と本山宅の間の地点――別紙見取図参照)で路肩が決壊し、四トン車以上の通行が不能となつた際にも、宮川主任が現地調査のうえ人吉営林署と協議の結果、直ちに応急的に桟道架設工事をすることになり、右工事は七月一一日完成し、大型車の通行も可能になり、本件災害当時、本件林道は相応に整備されていたことが認められる。右認定を覆すに足る証拠はない。

原告らは、本件林道は従来から落石、崖崩れ等のある危険なものであつたので、第二班や人吉分会では度々防護施設の設置を要求し、特に本件災害箇所にはガードレールの設置を要求していた旨主張し、<証拠>には右主張に副う部分があるが、右部分は、<証拠>並びに前記設定事実に照し措信できず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

3  更に、ひるがえつて考えるに、国家賠償法上の国の大塚林道管理責任については前記第二の六で判断したとおりであつて国に瑕疵責任は認められず、このことは本件林道の性格に照し、国の安全配慮義務の一内容としての右林道の整備義務違反の有無を判断するについても同様に考えるのが相当といわねばならない。

以上の次第で被告に右整備義務違反は認められないから債務不履行責任はなく、この点についての原告らの主張は理由がなく採用できない。

二本件災害発生までの経過

<証拠>に、当事者間に争いのない事実を綜合すると、次の事実が認められる。

(一) 人吉地方は昭和五四年六月下旬にも集中豪雨に見舞われ、このため同月二八日に第一班の通勤路となる国道二六七号線が途中で全面決壊し、第二班及び事業所への通勤路となる大塚林道は一部路肩が決壊した(前記一の2のとおり)国道二六七号線の方は本件災害当時も復旧工事が完了していなかつたため第一班作業員は通勤に際し決壊箇所まで車で行き、決壊箇所を徒歩で渡り、また別の車に乗り替えるという方法を用いていたが、第二班作業員は復旧工事が完成していたので従来通りミニバスで通勤していた(但し植木作業員は、自宅が人吉市矢岳町にあり同町から矢岳林道を通つて自家用車で通勤していた。)。

(二)  本件災害当日の同年七月一七日は午前四時五〇分に前日からの大雨洪水注意報が大雨洪水警報、雷雨注意報に切り替えられ、朝から雨が降り続いていた。宮川主任は、たまたま前夜は事業所に宿泊していたが、午前六時ころ右警報等が発令されていることを知り、当時の降雨状況では、第一班が予定していた屋外作業は困難であると考え、午前六時三〇分ころ第一班班長宅に電話して第一班休憩所内での屋内作業を指示した。同主任が第一班について、早朝、電話で指示したのは、同班の通勤路である国道二六七号線が前記のとおり六月二八日に決壊していたため事業所から第一班休憩所までは直接車で行くことができず、就労後では直接の連絡が困難な場合が予想され、また事業所と同休憩所との電話連絡は直通ではできず、事業所と国道二六七号線沿いにある野々上商店(別紙見取図参照)との間は公衆電話で、更に同商店と同休憩所との間は森林電話で同商店に取り次いでもらわねばならなかつたためである。同主任は、第二班についても当日予定されていた盤台架設作業を器具整備等の屋内作業に変更することにしていたが、事業所と第二班休憩所とは森林電話で直接連絡できること、また事業所から同休憩所へは車で一五分位で行けることもあつて後刻の連絡で足りると考えて同班に対する早朝の電話連絡はしなかつた。

(三)  第二班は平常通り午前七時二五分ころ集合場所の人吉貯木場を出発し、国道二六七号線から大塚林道、山嶽橋、矢岳林道を通つてミニバスで第二班休憩所に着き(植木作業員は矢岳林道を乗用車で反対側の人吉市矢岳町から出勤)、降雨のため德重班長の指示で道具の整備等の屋内作業に従事していたところ、午前九時過ぎから降雨が激しくなり、午前九時三〇分ころ、同所から約一キロメートル離れた人吉営林署大塚担当区事務所所属の造林班員肝付信一及び寺床要一の両名が矢岳林道三五支線(別紙見取図参照)が冠水して下山できなくなることを心配してミニバスで第二班休憩所に避難してきた。

(四)  宮川主任は、午前八時一五分ころ第二班に屋内作業を指示するため同班休憩所に森林電話をかけ、不通となつていることを知つたが(この点について、証人植木平三郎は本件災害の前日も森林電話は不通だつた旨供述しているが、前掲乙第二〇号証の一三(勤務簿)によると、同人はその日は年次休暇で休んでいたことが認められるので、森林電話のことは知らなかつたものと考えられるから右供述は措信できない。そうして、証人宮川孝雄の証言によれば、前日午後四時三〇分ころ、德重班長から電話で、盤台架設作業に必要な釘の注文がなされたことが認められるから、不通になつたのはそれ以後であることが推定される。)この雨では第二班も屋内作業に変更しているものと考えて他の事務処理をしていたところが、前述のとおり午前九時過ぎから降雨が激しくなつたので、他の事業所の勤務状況を聞くため午前九時五〇分ころ人吉市上田代町にある段塔製品事業所の主任に電話で問い合わせたところ、同事業所では林道が非常に弱いので不通になりそうだから現場の者は下山させて安全懇談会をする予定とのことであつたが、そのころ雨は幾分小降りになつてきており、宮川主任としては当時の降雨の状況、第二班休憩所周辺の地形等を考えて未だ特別休暇(就業規則四一条七号)を承認する必要まではないものと判断し、第二班が屋外作業をしていれば屋内作業に変更するし、屋内作業をしていればそのままそれを続けることを指示するため、午前一〇時ころ車で事業所を出発して右休憩所に向つた。

同主任はまず大塚林道の維持、補修作業を担当している被災者永井の所に寄るため、同林道を国道二六七号線と接する起点方向へ向い、本件災害発生地から約二〇〇メートル起点寄りの所で作業中の右永井に出会い同人に対し作業を中止し、第二班休憩所で屋内作業をするよう指示したところ、同人が「大丈夫ですばい。このまま水切り作業(砂利道に溜つた水を小さな溝を作つて谷側に排水する作業)をします。」とのことであつたので、同主任は雨が激しくなつたときは最寄りの本山宅(別紙見取図参照)に行くように、それまでは落石のないところで作業するように指示したのち、大塚林道を引き返し、山嶽橋、矢岳林道を通つて午前一〇時三〇分ころ第二班休憩所に到着した。

同主任は、既に屋内作業に従事していた德重班長にこのまま屋内作業を続けるよう指示し、一五分位右休憩所にいた後事業所へ向つて車で出発したが、この間右休憩所にいた第二班作業員(被災者德重班長、同佐田、同肝付榮藏、同山本)から下山の申し出はなかつた。

(五)  同主任は、午前一一時ころ事業所に帰着したが、そのころからバケツの水をひつくり返したような物凄い豪雨となり、見る見るうちに増水を始め、地表が水で覆われてしまうような状態となつたので、六月末の豪雨で決壊した国道二六七号線を通勤路としている第一班の状況把握のため中継箇所の前記野々上商店に度々電話したが通じなかつた。第二班については、この豪雨ではむしろ動かさない方が安全と考えて連絡手段はとらなかつた。午前一一時三〇分ころ事業所勤務の全林野組合員杉本学は雨があまりひどく、事業所から見える桑ノ木津留川の濁流がものすごいのでこのままでは第一班、第二班が危険もしくは下山できなくなると考え、人吉営林署勤務の右組合人吉分会書記長大柿安広に電話し、当局に話をしてくれるよう依頼し、これを受けた大柿はすぐ同署管理官内山登に何とかするよう申し入れた。内山管理官は直ちに事業所の宮川主任に電話して降雨の状況を聞いたうえ特別休暇を承認してよい旨伝えたが、同主任は雨が物凄くて下山させるのはかえつて危険であるから少し小降りになるのを待つて特別休暇を与えた方がいい、特別休暇を承認する時期についてはまかせてほしい旨答え、内山管理官もこれを了承した。

その後同主任は、第一班の状況をつかむため再び前記野々上商店に電話したところ同班は休憩所の前にあるヒューム管のところで水があふれ、車が通れないとのことであつたので内山管理官と電話で同班の下山方法について協議するとともに、他方、第二班についても、雨が一向に小降りにならないので通勤路が不通になる前に特別休暇の指示をして下山させることとし、午前一一時四五分ころ前記杉本と同じく事業所勤務の森係員の両名を車で第二班休憩所に向かわせたが、右両名は山嶽橋までも行かないうちに道路上にあふれた雨水で車のエンジンが動かなくなり、車を置いたまま午後零時一〇分ころ歩いて事業所に戻つてきた。同主任は、この雨の状況及び道路状態では第二班は同班休憩所にいて動かない方がかえつて安全だと考えてその後同班への連絡手段はとらなかつた。

(六)  他方、第二班休憩所では宮川主任が休憩所を出た後午前一一時ころから前記のような豪雨となり、地面にあふれた水が用所内に浸水してきて床に置いてあつた地下足袋が浮くような状態になつたため午前一一時三〇分ころ早目に昼食をとつたうえ、被災者佐田が德重班長に下山を提案したところ、同班長も同意し、事業所で指示を受けることに決し、午前一一時四〇分ないし四五分ころ車三台で出発し、先頭の造林班のミニバスに肝付信一、寺床要一、二台目の普通乗用車に植木平三郎、三台目が第二班のミニバス(被災者德重班長、同佐田、同肝付榮藏、同山本乗車)の順で出発し、途中雨水で路面が見えない所では德重班長と佐田が降車して歩いて誘導するなどして進んだが、山嶽橋までくると、同所の休憩所(道具小屋)で被災者永井が待つていたので第二班のミニバスに乗車させ、同人が川の上流(事業所方面)が崩れたせいで材木が流れてくるのではないかという旨話したこともあつて德重班長は事業所へ行く(左折)のを変更して右折を指示し、前記の順で右折して大塚林道起点方面に向つて進行し、本件災害発生地にさしかかつた際本件災害が発生して五名が死亡した。

三宮川主任のとつた措置の相当性

1  被告国の安全配慮義務

大塚林道、矢岳林道、大塚事業所、第二班休憩所、盤台の位置、地形、標高等は前記第二の三のとおりであり、本件災害により死亡した被災者五名は現場での作業(当日は被災者永井は大塚林道の維持補修、その余の四名は盤台架設作業が予定されていた。)に従事していたものであつて、右通勤路、職務の内容からみて降雨、風、雷等の気象状況によつては、作業員の生命、健康等に危険の及ぶことが予測されるから、被告は前記安全配慮義務の一内容として当日の天候、気象予報、通勤路、現場の状況等から判断して、当日就労させることにより職員の生命、身体に現実に危険が及ぶ高度の蓋然性が認められる場合には、職員を就労させない義務を負いまた一旦就労させたのちにおいても、気象状況等の変化に伴い、そのまま就労させていることにより職員の身に危険が及ぶ高度の蓋然性が認められるに至つた場合には、その後の就労を中止し、下山その他の措置をとり安全を確保すべき義務を負うものというべく、かかる場合には、被告の履行補助者としての宮川主任は、右指示をなすとともに、国有林野事業職員就業規則(前掲乙第六号証の一ないし五、第五六号証の一、二)にもとづき、同規則四一条七号の特別休暇(「所轄庁の事務又は事業の運営上の必要に基く事務又は事業の全部又は一部の停止(台風の来襲等による事故発生の防止のための措置を含む。)」)を与える手続をとるべきものといわねばならない。

2  宮川主任が当日第二班を就労させたことについて

前記のとおり宮川主任は本件災害発生当日も被災者五名を含む第二班作業員を朝から平常通り勤務につかせているところ、当日午前四時五〇分に前日からの大雨洪水注意報が大雨洪水警報、雷雨注意報に切り替わったのであるが、当日の一時間毎の降水量は別表Bのとおりで、午前六時以前は僅かであり、六時から七時までが二二ミリ、七時から八時までが二五ミリと相当の雨量であつたことが認められる(なお、八時から九時までの間は六・五ミリである。)。

他方、<証拠>によると人吉営林署管内における大塚事業所以外の相当区、製品事業所(合計九)の当日の就労状況は、渡担当区のみが全員年次休暇をとつているが、他はいずれも就労を開始していること、<証拠>によると大塚林道起点近くにある人吉市立大塚小学校及び同第四中学校(別紙見取図参照)に通学している桑ノ木津留地区の小中学生らも、平常どおり登校していること(但し、午後の授業は打ち切られている。)、<証拠>によれば大雨洪水警報が発令されていても、一日降水量が五〇ミリ以下の日が半数を超えていること(本件災害当日は一九三・五ミリの降雨)、<証拠>によれば、大雨洪水警報が発令されていても、屋外での作業に従事する職員は、屋外作業に支障がない程度の降雨であれば屋外作業に従事するし、屋外作業に支障がある程の降雨のときは、屋内作業、安全懇談会、場合によつては特別休暇等状況に応じて適宜の措置がとられていること、当日出勤した肝付信一(大塚林道を通つて出勤)、植木平三郎(矢岳林道を通つて出勤)、同杉本学(大塚林道を通つて出勤)らは、いずれも降雨下の出勤に危険を感じていないことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

右事実及び叙上認定の全事実を総合して検討すると、本件災害当日宮川主任が被災者五名を就労させたことは相当であつて、安全配慮義務に反するものということはできず、また、就労後における豪雨及びこれによる災害の発生を予測しなかつたことについて同主任に故意、過失があるものとは認められない。この点についての原告の主張は失当であつて、採用できない。

3  宮川主任が第二班休憩所で下山についての指示を与えず屋内作業の継続を指示したことについて

前記認定のとおり宮川主任は第二班休憩所には来たものの特別休暇を含む下山についての指示を与えず、德重班長に屋内作業の継続を指示しているので以下この点について検討する。

(1) まず宮川主任が第二班休憩所に到着した午前一〇時三〇分ころの降雨の状況は、午前九時ころの強雨よりは小降り(並み雨)になつてきており(別表Bのとおり午前九時から一〇時までの降水量が三七・五ミリなのに比し一〇時から一一時までは九・五ミリ。)、同主任が同休憩所にいた間は同所内への浸水は認められない。<証拠>中、右認定に反する部分は採用できない。

(2) 当時の林道の状況をみると<証拠>によれば宮川主任が右休憩所に向うときは、事業所から被災者永井が作業していたところまでの大塚林道は、車の通行に特に支障はなかつたこと、また、途中の川の水量も、通常梅雨期にみられる程度のものであつたことが認められる。

そうして宮川主任がその際右永井に第二班休憩所で待機するよう勧めたのに対し、同人は林道の水切り作業の継続を申し出ており、このことは、道路の維持補修作業を専門で担当し、林道の状況には最も詳しいと考えられる同人自身も、当時、林道上及びその周辺の山地等に格別危険性は認めていなかつたことを示すものと言える。一方、山嶽橋から矢岳林道を通つて休憩所に至るまでの間は一か所、側溝に杉の枝条がつまつて排水ができず、路面上を水の流れているところがあつたが、矢岳林道は、六月末の豪雨後トラクターを使つて丁寧に整備修復していたので、路面自体には悪いところはなく、通行に支障はなかつたことが認められる。

(3) 第二班休憩所の周囲の地形をみるに、<証拠>を総合すると、休憩所の横の谷は通常水が流れておらず、雨で増水してもなおかつそれよりも高い所に休憩所はあり、裏の山は傾斜が緩やかで、その地形、集水面積からみて、これが崩壊し或は同所に降つた雨が休憩所に押し寄せてくることは考えられず、休憩所は安全な場所に置かれていたことが認められる。

(4) <証拠>によれば、六月二八日の豪雨の際は就労して間もなく、第二班の德重班長から、宮川主任に対し出勤途上の矢岳林道が非常に傷んでいて、このまま降雨が続けば車が通れなくなる可能性があるとの連絡があつたので、同主任は営林署長の承認を得て、第一、二班に対し午前九時以降特別休暇を与えているが、本件当日、宮川主任が第二班休憩所にいる間、德重班長その他の作業員から、下山に関する話は全然出ておらず、その時点において、同主任には、右休憩所自体が危険になつたり、林道の決壊等により第二班が弧立してしまうおそれがある程の豪雨となることを予測することはできなかつたことが認められる。

以上の事実が認められ、また前記大雨洪水警報発令下の降雨の実態及び降雨日の勤務の実態を考慮すると右状況下において右休憩所に来た宮川主任がその時点で特別休暇を含む下山の指示をしなかつたことをもつて不当ということはできず、右措置に過失があつたことは認められない。

3  宮川主任が事業所に戻つてからの措置、特に内山管理官から特別休暇を承認する旨の電話があつたのに速やかに下山の措置をとらなかつたことについて

宮川主任が午前一一時ころ事業所に戻つてから、午前一一時四五分ころ杉本、森の両名を第二班休憩所に向かわせるまでの状況は、前記第三の二(5)のとおりである。

ところで、午前一一時ころからの豪雨のもとで第二班を直ちに下山させることが第二班班員の生命、身体を本件のような災害から守る唯一の手段である場合には被告は前記安全配慮義務の一内容として直ちに下山させるべき義務を負うものといわねばならない。

しかしながら、第二班休憩所の周囲の地形は前記第三の二の3の(3)のとおりであつて、山崩れ、土石流等で右休憩所が押し潰されるおそれはなく、また集中豪雨は、経験的に長時間続くことは少なく、本件の場合でも午前一一時以降の降水量は別表Bのとおり午前一一時から午後零時までが五〇・五ミリであるのに対して、午後零時以降の一時間毎の降水量は二九・五ミリ、三・五ミリ、〇・五ミリであり、午後三時以降はいずれも零ミリとなつている。また第二班休憩所からの道路は、矢岳林道、大塚林道を通つて国道二六七号線に出る道路だけでなく、矢岳林道を山嶽橋と反対方向に進むと人吉市矢岳町へも出られるのであつて、林道の決壊等で第二班が長時間、完全に孤立してしまうおそれは少なかつたものと考えられる。

右のような状況下で宮川主任が第二班に対しどのような措置をとるべきかについては、状況に応じてある程度の裁量の幅が認められるべきであり、豪雨の中を直ちに下山させるべきか、小降りになるまで動かさずにおくかについても、どちらがより安全ともにわかに断定し難く、小降りになるまで下山の指示を示さず、動かさずにおくということも十分合理性のあることであつて、この方法を選んだ宮川主任の判断が誤りであつたということはできない。従つて、直ちに下山させていれば、本件災害に遭遇することはなかつたとして、宮川主任のとつた措置を不当というのは理由のないことである。

もつとも、宮川主任は、午前一一時三〇分すぎに、内山管理者から特別休暇承認の電話を受けた際には、第二班を今すぐに下山させることは危険であるとしながら、同一一時四五分ころには、雨が小降りになる気配がないとして、下山させることを決意するに至つているのであつて、同主任の右判断にはその間に予盾がある。けだし、本件のような場合、降雨状況に変化がない限り、時間の経過とともに一般に危険はいつそう増大することはあつても、減少することは考えられないから、一一時三〇分ころ豪雨の中を下山させることが危険であるというのであれば、それから一五分後には、更に危険は増大していたはずである。そうして、当時の降雨状況(宮川証人の証言によれば、ちよつと口では言い表わせない程の物凄い豪雨)並びに雨水の流下する林道の状態及び林道の置かれた地理的条件を考慮すると、宮川主任としてはむしろ、第二班に対し一時的な孤立をおそれずに下山を見合わせ、休憩所に踏み止まることこそを指示すべきであつたものというべきであるが、もとより、それが可能であつたかどうかは、また別個の問題である。

また宮川主任が午前一一時三〇分すぎに内山管理官から特別休暇を承認する旨の電話を受けて、直ちに車でこのことを第二班に連絡させたとしても、第二班休憩所までは約一五分を要するので、同班班員が德重班長らの独自の判断で右休憩所を出発した午前一一時四〇分ないし四五分ころの実際の下山の時刻より、下山時刻を早めることになるかどうかは疑問である。従つて、仮にこの点において宮川主任の安全配慮義務違反ないし過失が認められるとしても、そのことを本件災害との間に相当因果関係を認めることは困難である。

以上の次第で宮川主任が第二班に対し下山の指示をしなかつたことについて被告に安全配慮義務違反としての債務不履行責任及び不法行為責任(使用者責任)は成立しないから、この点についての原告らの主張は理由がなく採用できない。

四ふりかえつて考えるに災害当日、被災者五名を含む第二班作業員らが就労していなければ、本件災害による死亡事故が発生しなかつたことは勿論である。また、就労したのちにおいても、午前一一時前に下山を開始していれば、被災者らが本件災害に遭遇しなかつたであろうことも確かである。問題は、宮川主任が第二班を就労させ、かつ午前一一時前に下山を指示しなかつたことの是非である。この点について、当裁判所は宮川主任のとつた右措置は相当であり、同主任に過失はなかつたものと判断する。そうして、午前一一時以降の豪雨は異常であり、その中で下山は危険であつたというべきであるから、同主任が第二班に対し下山の措置をとらなかつたことをもつて、これを非難することは筋違いであるといわねばならない。

第四結論

以上のとおりであつて、被告に林道管理の瑕疵責任、安全配慮義務違反による債務不履行責任、不法行為責任(使用者責任)は成立しないから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条九三条を適用して主文のとおり判決する。

(土屋重雄 最上侃二 林 秀文)

別紙 請求金額目録<省略>

損害一覧表<省略>

別表1〜8<省略>

別紙 受領金額表<省略>

別表B

昭和五四年七月一七日の時間別降水量

(人吉測候所観測)

時間

降水量㎜

〇時~  一時

〇・〇

一時~  二時

二・〇

二時~  三時

六・〇

三時~  四時

〇・〇

四時~  五時

〇・五

五時~  六時

〇・五

六時~  七時

二二・〇

七時~  八時

二五・〇

八時~  九時

六・五

九時~一〇時

三七・五

一〇時~一一時

九・五

一一時~一二時

五〇・五

一二時~一三時

二九・五

一三時~一四時

三・五

一四時~一五時

〇・五

一五時~一六時

〇・〇

一六時~一七時

〇・〇

一七時~一八時

〇・〇

一八時~一九時

〇・〇

一九時~二〇時

〇・〇

二〇時~二一時

〇・〇

二一時~二二時

〇・〇

二二時~二三時

〇・〇

二三時~二四時

〇・〇

日計

一九三・五

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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